2014/01/21

独断と偏見に満ちた「男は『味』が出やすくていいな」の話

先ごろ、女優の淡路恵子さんが亡くなって、考えることは二つ。一つは、ちょっとリアルになってきた「どんな婆さんなっていたいか?」ということ。そして、もう一つは「男はいいなぁ」ということ。

自分の、ここ20年くらいの「こうなっていたい」像は、数年前に亡くなった津島恵子さん。6~7年前までやっていた土曜ワイド劇場「牟田刑事官事件ァイル」シリーズで、主演小林桂樹さんの奥さん役を勤めていた上品な女性、と言えば分かる人も多い筈。若い人の思う「可愛いお婆ちゃん(になりたい)」像に、近いのでは、と勝手に考えています。淡路恵子さん的な、フランス女優的な「この女は平凡な人生を歩んでこなかった筈」な魅力は、相当難易度が高く、一見こちらの方が手に届きやすい印象。

でもねぇ、ぼうっと生きていたら、あの佇まいにはならないのでは…と。だって、女の人は単に苦労した、年月を重ねただけじゃ、イコール「汚れた」「劣化した」になる危険性が高い、というのが持論です。あれは、自分って素材を、手入れして手入れして「手に入れた」姿だと思うのです。いい革の靴(そんなの履いたことないか)に、大事にクリーム塗って、シューキーパー入れて休ませて、そうしたらいい味が出た、という、あれ。

その点、男の人なら、単純に加齢による衰え-開いた毛穴や緩んだ輪郭、皺、でっぷりとした腹すら-が、「味」になりやすい気がするのですよ。また、その見た目の衰えが、内面の充実を感じさせやすい、というね。

男の人から言わせたら「そんな単純なもんじゃない!」のかもしれません。昔から「男は顔に責任を持て」、なんて言うし。まぁせいぜい、男女共に太り過ぎもせず、ひんけも(「ひんける」…徳島の言葉で痩せて貧相になること)せず、肌を磨いて、そして自分を磨いて、ですかね。トップダウンは苦手だけれど、こう考えたら少しは一日一日丁寧に生きられるかも、です。

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