2012/12/05

夢に終わった

勘三郎が死んだ。死なれてしまった。娘が大きくなって、勘三郎がちょっと身体が動かなくなってきたかな?くらいのころ歌舞伎座に観に行こう、というのが自分のささやかな夢だった。夢に終わってしまった。

自分が上京して歌舞伎を年に3回以上(京都の顔見世も行ったりして)観ていたのは20世紀末の十年弱だ。当時、勘三郎らが「おじさん」と呼ぶ世代が集大成の舞台を見せていた。中村歌右衛門、尾上梅幸、十三代目片岡仁左衛門、市村羽左衛門、中村雀右衛門、ちょっと若くて中村芝翫、中村富十郎…彼らを追いかけていたので、自分は勘三郎(当時勘九郎)を観ることは、ほとんどなかった。彼は若手中心の舞台で汗をかいていた。初役も多かったろう。けれど今は、今は歌右衛門!だったのだ。

少し前に「あぁ、自分は同じ時代を生きたのに、玉三郎の『道成寺』を観ないままだったなぁ」と思い、さびしくなったことがあった。勘三郎同様、彼を見ることもほとんどなかった。若く美しかった彼も60を超したろう。この先、花子や八ツ橋や阿古屋を何度勤めてくれるだろうか。実際、もう本興行では「京鹿子娘道成寺」をかけていない筈だ。25日間なんて、無理なのだ。

しかし、勘三郎は大丈夫だろうと思っていた。先に述べたように、ちょっと身体が動かなくなって、芸が光るころ見ることができたらいい。彼なら間に合うだろう、見せてくれる、と大病しても思っていた。もちろん知らないが、先代のように「待ってましたとはありがたい」と、またこぼれる愛嬌を見せてくれると思っていた。だのに、死んでしまった。本当に残念だ。

このぽっかりした感じは歌右衛門の少し前に亡くなった澤村宗十郎のときに似ているけれど、若すぎるだけにそれ以上。ぽっかり、正にぽっかりだ。けれど、歌舞伎は大丈夫だ、と信じたい。観にも行けないけれど、そう信じたい。

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