2013/01/22

「盟三五大切」-芸とか美とか人間について考えてみた

「盟三五大切」-まず分かりませんね?「かみかけて さんご たいせつ」と読みます。「東海道四谷怪談」で有名な四世鶴屋南北の、あまり知られていないでしょうが「四谷怪談」と並ぶだろう名作です。昔、国立劇場で観ました。團十郎の源五兵衛の、大きさと色気を特に強く憶えています。

先日「たかじんのそこまで言って委員会」というテレビ番組を観ていて、コメンテーターがこの歌舞伎の演目を口にしてびっくり。いや、こんなところで聞くとは。

その人は、凄惨な殺しの芝居を褒め称えていました。自分は縁のなかったコクーン歌舞伎の、です。でも勘三郎って言ってたような…へぇ、彼が源五兵衛を勤めたんだぁ…?三五郎なら「すとん」とくるけれど、これはイメージできなかった。むしろ義弟の中村橋之助とか…そんなになっていたんだ?最近の歌舞伎は。…と、頭の中が「?」だらけになったので調べてみたら、声のみの出演だった。源五兵衛はやはり橋之助、三五郎は勘九郎。うんうん、そうだよね。

話は戻って。「たかじんのそこまで言って委員会」は、凄惨な殺戮シーンが続くゲームや映画等をやったり観たりして、子どもは、人間はおかしくならないのか?という話をしていたと思う。思う、というのは最初から斜めに観ていたためと、「盟三五大切」という名前を聞いた途端、記憶をたどってブラウジングしていたため。確か、褒めていたのだから、凄惨な場面も芸や美に昇華していればOKだし、人間ってそうおかしくならないよ、ってことだったろうか…ん~、まぁ、そうなんだけれど。

この作品、勤める人に「芸」や「華」がなかったら、そして受け手の観客も、ある程度成熟(踏まえた「世界」が分かっているとか)していなければ、裏切られてブチ切れた男が、女だけでなく関係ない者までもぶった斬り、その後しゃあしゃあと当時の美徳である主の仇討に参加する、不条理なだけの話。だから今の時代には難しい?頽廃的な筋からして逆に受け入れられやすい?けれども未熟な子どもには観せたくない。だから自分は、妙なゲームや、残酷な映画等は、人間そんな単純なものじゃないだろ、とは感じつつ、子どもには否定派。自身、映画の謳い文句に「ハートウォーミングな物語」なんてあると、「けっ」てなるけれど、暴力や殺しを好んで観ようとは思わないしな…なんだか難しくなってきました。殺しをも美に昇華させる歌舞伎って凄いんだよ、こんな自分でも楽しめたんだよ、と結んで終わりにします。

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