2013/01/20

屈託ない人を見ると「この人はやはり『定型』?」と考える癖

虫が大好きtsurusukeです。だいぶ前に見かけて「大丈夫かな?」と思っていたアゲハチョウの蛹がちゃんとあって、嬉しくなり撮りました。塀とか壁とか、どうしても人目に…なので、無事冬を越して羽化して欲しい。

これを撮る前、ガソリンスタンドに灯油を買いに行っていました。自販機前に自転車を停めると、店員の青年が。操作でまごつく人が多いのでしょう、ニコニコ感じよく説明してくれました。「帰り気を付けてくださいね、この間お爺ちゃんがね…」と気遣ってもくれたりで、変な言い方、全然無理がない。自分を嫌う、なんて屈託などなさそうな…「君は『定型』なのかね?」と思う自分がいました。

自分はいくらか発達障害を疑っている人間の一人です。だから「『定型』とは?『非定型』とは?」と考える癖がついてしまって。まぁ、そんな単純な割り切りはできないと分かってはいるのですが。

発達障害の概念を知ったのはいつだったか。最近「自分(のこの生きづらさ)は『発達障害』では?」と、医療機関を受診する人が増えた、というような記事を目にしたのですが、そうでなくてもスペクトラムにいる、グレーゾーンにいるのではないかと思っています。誰だって生きていれば辛いことはありますよね、特に対人面で。それ以前に自分との付き合い方、取り扱いからしてまず辛さがある、このためです。

ただ、診断名は欲しくない。自分でも使えそうな発達障害支援をかじって、いくらかでも楽しく過ごせたら、というスタンスです。自分の取り扱い方をおぼえて、少しでも嫌いにならないように…。

深刻な悩みを抱える当事者の方からしたら腹が立つような気楽さなのは容易に想像できます。でも個々の「違い」をなかなか受容してくれない世の中で、他人とどうも違っている、うまくいかない、という事実は、やはり辛い。「一人ひとり違っていて当たり前だよね」な世の中になるのを祈りつつ、いろいろと調べたりやってみたりを続けます。

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