2013/01/30

労災認定

東日本大震災直前の2月、ニュージーランドで地震があり、邦人も多く亡くなりました。今回、震災での緊急業務に追われ自殺した旅行会社課長に労災認定が。

2013/01/29

ブログの統計の「閲覧者」をふと見たら

オペレーティング システムはWindowsとAndroidで八割強。やはりAndroid端末は席巻しているのだな、と改めて感じた。

問題は閲覧者の国別ランク。タイトルがまがいなりにも英語なので、アメリカとかなら「間違ったんだよね、ごめんなさい」って思うのだけれど、ロシア(しかもロシアは最近アクセスがないようなので余計気になる)とか大韓民国とかドイツって…。そしてラトビアとかは一体どうしてここへ来た…?とにかくITは弱いので、ブログを発信することによって何か脅威にさらされているのでは?と心配になる。

PVを稼げるブログなら、解析は必要だろうし楽しそうだけれど、なんだか自分の場合、怖くなっただけで終わってしまうことに…もっとちゃんと見なければならないのか?

2013/01/28

青梗菜の花

なんら菜の花と変わりないです。それにしても、もう春が近いのですかね…。


寒いのも嫌いだけれど、春の空気は苦手です。変化が怖い、というのもあるでしょう。別れとか、出会いとか…無邪気に喜べるようになりたいです。

2013/01/27

タイトルを見て頷いた二つの記事

「子育てがうまくいってない人は、未だに『人生の主人公は自分だ』と思っちゃってる人」と「やさしい人は、期待値が低い」というもの。

2013/01/26

泣いた舞台と、その役と、役者

自分のためにメモです。

「勧進帳」…「またかの関(安宅とかけている)」と呼ばれるほど上演回数も多く、実際何度も演じ手を替えて観たけれど、十七代目市村羽左衛門の弁慶と、七代目尾上梅幸の義経が至高 東京に二泊して三回観た

「仮名手本忠臣蔵」八段目の舞踊「道行旅路嫁入」…六代目中村歌右衛門の定高と、尾上菊五郎の小浪 二人が舞台中央からせり上がってきたとき泣いた、ちょっと違う意味で-歌右衛門は脚が悪かったから-けれど、舞台は大きかった 九段目が観たかった

「国姓爺合戦」の「楼門」…歌右衛門の、乙姫様みたいな格好の錦祥女が義太夫にノるのを観る、この幸せ…分かって貰えるだろうか?

2013/01/25

気付き-干し柿ってドライフルーツじゃないか

冬は、頂いたお餅やみかんが余ってしまって困ります。今年は、早々と餅は揚げ餅にして片付けてしまった(!)けれど、みかんとかダメにしてしまいますね…。今年、新たに悩みとして加わったのが干し柿。5~6個だけだし、かびたら捨てちゃえ、って思いもしたのですが、遠縁のおばあちゃんが作ってくれたもので、その思いを考えるとね。

そもそも、柿自体が苦手。しょりしょりとした内は好きなのですが、熟して柔らかくなったのがダメ。干し柿なんてもっての外!だったのですが、職場でぐだぐだとしゃべっていた際、「ヨーグルトに入れちゃうとか…フルーツ!フルーツだもん!」と言われ、はっときて。あぁ、ドライフルーツじゃん、名前もそうなってるもの。

考え方を替えると、大丈夫なものですね。今は少しずつでもヨーグルトに混ぜて食べています。おばあちゃん、ありがとう。

2013/01/24

何でも「仕込む」のが大事

昨日上司に「あれ、○○(期日)までには片付けといてね」と、やんわり言われ、ドーンときた。その仕事は、緊急度も重要度もそう高くないものだが、実はだいぶ前にほぼ片付けていた。後は担当職員さんのチェックの後フィニッシュ!なのだが、忙しそうなので声掛けず放っておいたらこれ。あ~あ。

そうなる前に、落ち込みを防ぐ前に声掛けとけばよかったんだ。そもそも仕事なんだから、それは先回りして「仕込んで」おかなければならなかったことだったと反省。自分の人生、何でも「仕込む」のが大事のようだ。

2013/01/23

ブログの「ラベル」を整理してみた

「Blogger」にはタグもカテゴリーもありません。と言うか、あったとしても使いこなせてないでしょう(だからEvernoteもなんとなく雑然としたままです)。その代わり、そのタグとカテゴリーを合わせた感じの「ラベル」があって、これを少しすっきりさせ、過去記事を振り分け直したり、文章を少し書き直してみたりを実行。あくまで、過去の自分はどんなことを考えていたのかを調べやすく、見やすくするため。

いじって確認を繰り返したら、PVがすごく増えた。これは、ズルだな。

2013/01/22

「盟三五大切」-芸とか美とか人間について考えてみた

「盟三五大切」-まず分かりませんね?「かみかけて さんご たいせつ」と読みます。「東海道四谷怪談」で有名な四世鶴屋南北の、あまり知られていないでしょうが「四谷怪談」と並ぶだろう名作です。昔、国立劇場で観ました。團十郎の源五兵衛の、大きさと色気を特に強く憶えています。

先日「たかじんのそこまで言って委員会」というテレビ番組を観ていて、コメンテーターがこの歌舞伎の演目を口にしてびっくり。いや、こんなところで聞くとは。

その人は、凄惨な殺しの芝居を褒め称えていました。自分は縁のなかったコクーン歌舞伎の、です。でも勘三郎って言ってたような…へぇ、彼が源五兵衛を勤めたんだぁ…?三五郎なら「すとん」とくるけれど、これはイメージできなかった。むしろ義弟の中村橋之助とか…そんなになっていたんだ?最近の歌舞伎は。…と、頭の中が「?」だらけになったので調べてみたら、声のみの出演だった。源五兵衛はやはり橋之助、三五郎は勘九郎。うんうん、そうだよね。

話は戻って。「たかじんのそこまで言って委員会」は、凄惨な殺戮シーンが続くゲームや映画等をやったり観たりして、子どもは、人間はおかしくならないのか?という話をしていたと思う。思う、というのは最初から斜めに観ていたためと、「盟三五大切」という名前を聞いた途端、記憶をたどってブラウジングしていたため。確か、褒めていたのだから、凄惨な場面も芸や美に昇華していればOKだし、人間ってそうおかしくならないよ、ってことだったろうか…ん~、まぁ、そうなんだけれど。

この作品、勤める人に「芸」や「華」がなかったら、そして受け手の観客も、ある程度成熟(踏まえた「世界」が分かっているとか)していなければ、裏切られてブチ切れた男が、女だけでなく関係ない者までもぶった斬り、その後しゃあしゃあと当時の美徳である主の仇討に参加する、不条理なだけの話。だから今の時代には難しい?頽廃的な筋からして逆に受け入れられやすい?けれども未熟な子どもには観せたくない。だから自分は、妙なゲームや、残酷な映画等は、人間そんな単純なものじゃないだろ、とは感じつつ、子どもには否定派。自身、映画の謳い文句に「ハートウォーミングな物語」なんてあると、「けっ」てなるけれど、暴力や殺しを好んで観ようとは思わないしな…なんだか難しくなってきました。殺しをも美に昇華させる歌舞伎って凄いんだよ、こんな自分でも楽しめたんだよ、と結んで終わりにします。

2013/01/21

情報収集-テレビだってたまにはいい-

己を少しでも高めたい、欲する情報に効率よく触れたい、と大抵の人は思いますよね?自分もそうです。と言ってRSS等を利用する、まではいっておらず、せいぜい書店で気になった雑誌や書籍はすぐ買う、テレビをだらだら観るのをできるだけ辞める、を心がけている程度。あと、ときどきは「はてなブックマーク」のアプリで、興味ある記事をぐわっと読みます。カテゴリはやはり「生活・人生」「コンピュータ・IT」中心で。

けれど、ふと「スポーツ・音楽・芸能」なんて開けてみると「これ、これ!」な記事があったりします。書店で言うと、ネットで観て「!」と思い飛びついた書籍の横に並べてあったのも手に取ったら、そちらの方がすとん、ときたような…ちょっと違うか。

だから「テレビをだらだら観るのもたまにはいい、ノイズを仕込む、なくらいで」と、要は自分を甘やかしたい話。先日は、木下恵介監督が世界で注目されている、という番組に出会えてラッキー。もっとも、彼の作品は「カルメン故郷へ帰る」くらいしか観ておらず、内容も憶えてない…権威に弱いのを再発見といったところか。

2013/01/20

屈託ない人を見ると「この人はやはり『定型』?」と考える癖

虫が大好きtsurusukeです。だいぶ前に見かけて「大丈夫かな?」と思っていたアゲハチョウの蛹がちゃんとあって、嬉しくなり撮りました。塀とか壁とか、どうしても人目に…なので、無事冬を越して羽化して欲しい。

これを撮る前、ガソリンスタンドに灯油を買いに行っていました。自販機前に自転車を停めると、店員の青年が。操作でまごつく人が多いのでしょう、ニコニコ感じよく説明してくれました。「帰り気を付けてくださいね、この間お爺ちゃんがね…」と気遣ってもくれたりで、変な言い方、全然無理がない。自分を嫌う、なんて屈託などなさそうな…「君は『定型』なのかね?」と思う自分がいました。

自分はいくらか発達障害を疑っている人間の一人です。だから「『定型』とは?『非定型』とは?」と考える癖がついてしまって。まぁ、そんな単純な割り切りはできないと分かってはいるのですが。

発達障害の概念を知ったのはいつだったか。最近「自分(のこの生きづらさ)は『発達障害』では?」と、医療機関を受診する人が増えた、というような記事を目にしたのですが、そうでなくてもスペクトラムにいる、グレーゾーンにいるのではないかと思っています。誰だって生きていれば辛いことはありますよね、特に対人面で。それ以前に自分との付き合い方、取り扱いからしてまず辛さがある、このためです。

ただ、診断名は欲しくない。自分でも使えそうな発達障害支援をかじって、いくらかでも楽しく過ごせたら、というスタンスです。自分の取り扱い方をおぼえて、少しでも嫌いにならないように…。

深刻な悩みを抱える当事者の方からしたら腹が立つような気楽さなのは容易に想像できます。でも個々の「違い」をなかなか受容してくれない世の中で、他人とどうも違っている、うまくいかない、という事実は、やはり辛い。「一人ひとり違っていて当たり前だよね」な世の中になるのを祈りつつ、いろいろと調べたりやってみたりを続けます。

2013/01/16

野良野菜とでも言いますか

収穫の終わった畑にニョッキリ出た青梗菜?ずっと注目してたんですが、とうとう蕾をつけた。逞しいな。

2013/01/14

揚げ餅が美味しすぎて

同僚に聞いた餅の食べ方を、忘れないようにメモ。

餅を切って素揚げ(だったかな?)し、温めためんつゆ、大根おろし、一味唐辛子でいただく…美味しい。二日そればかり食べて餅は減り、体重はめでたく増えた。

2013/01/09

PodcastでNHKラジオニュースを聴く

テレビの視聴時間を減らしたい、けれどニュースは例外、と思っていた。が、Podcastでラジオニュースを聴きながら家事などやっていると、まずなかなかテレビをつけなくなる。だからニュースを観た後についザッピングして…というのがない。これはいい。もっとも、最近娘が漫画の単行本に夢中、というのが大きいのだが。

2013/01/08

フリック入力の練習

昨日から「ふりっく」というアプリで、少しずつフリック入力を練習中。テンキーが大嫌いでQWERTYキーを使いポチリポチリやっていたのですが、少しでも文字をミスなく早く入力したくなったので。

「きゃ行」を練習しようとしたら「ば行」が表示されたり、なんて不具合があったりするが、改善されるでしょう。使いやすくて満足しています。

2013/01/04

不安・落ち込みを防ぐ策をあれこれ仕込む

今日は仕事始め。ポーチは机上にドン、とあった。何故忘れるのかね…?とりあえずはよかった。出勤簿・回覧用の三文判、いつも使っているリップペンシル(ちびたヤツ)、綿棒を引き出しにしまって、すぐ見えるところに「退勤時 持ち物チェック」と貼り紙。スマホに退勤時間をアラームで知らせてくれるよう設定(iPod touchなら画面に文字でも知らせてくれるのだが…ちなみ今日は持たせてくれなかった)し、朝夕持ち物チェックできたかどうかアプリ「Way of Life」で振り返る…しつこい。

これで忘れ物をしなくなり、滅入らなくなったら安いものだ。できるようになれば新しいことを、と欲張りたいがここは我慢。「Way of Life」無料版で登録できる項目は3つまで。当分は、持ち物チェックができたかどうか、を含む3つの「習慣にしたい」項目と付き合っていくことになる。

Bloggerアプリが使いやすく戻った

いろいろ試して、スマホからでもどんどん書きためるように。

2013/01/02

アプリ「Way of Life 」を入れてみた

1年を振り返ろう、と意気込んだ大晦日。だのにiPod touchをついいじっていて年を越してしまいました。娘には「勝手に使うな」とお達しを受けたiPod touchに、こそこそEvernoteなどのアプリを入れています。

なぜ手持ちのスマホでないかというと、やはり憧れが強かったせいか、Apple製品とiOS、アプリが使いやすいため(ただiOSは最新だし、Evernoteなどのアプリはアンドロイドの方が慣れもあってか勝手がいい?ので、ど素人は言い切れない)。で、今年になっても夢中になっていいアプリを探していました。それは、習慣化アプリ。

仕事納めの翌日、以前にも書いた記事同様、また印鑑と化粧道具を入れたポーチがないことに気付きました。一週間近くの長期の休みによりによって…荒れました。十中八九、職場にある。分かっていてもこの長さが不安で、しかも二度目三度目なのが情けなくて。

そもそも印鑑証明を取ったような重要な印を持ち歩いて、出勤簿に使っていた(シャチハタはダメな職場です)のが間違い。職場に置く三文判は即購入。実印が出てこなかったらまた買おう、そして変更届を出そう。けれど、この「私ってダメ」の思いはもういやだ。それには自分を信用してはいけない、道具に委ねなければ。

視覚支援の付箋は、もう大丈夫だろうと取っ払っていました。Evernoteに残した確認メモは、見忘れました。Remember The Milkも無料版の機能制限に引っ掛かりをおぼえ、アンインストールしてしまっていた。そりゃダメだ。仕事始めに、もう一度付箋を貼るか、リストを作る。もしくはホワイトボードでも買ってしまう。あとはダメ押しにアプリを仕込んでおけば!

しかし、リマインダーアプリは音の問題もあるし、毎日のルーティンに特化していて使いづらそう。アンドロイドアプリのPlayストアでは気に入ったものがなく、いいのなら有料でも!と思ったApp Storeですらなかなか見つけられない。しかもiPod touchは何せ娘のだから、職場などいつでもどこでも持って行けるとは限らない。ならば、「できたらチェック」のような習慣化アプリにしよう、となったのです。で、とにかく試そう、と無料アプリのインストールとアンインストールを繰り返すことに。

最後に操作性で敷居が高そう、と感じた「Way of Life 」を入れて、説明通りに使ってみたら、これがいい。「はい(できた)」「いいえ(できなかった)」「スキップ(今回はスルー、みたいな?)」の記録の設定等、気持ち「緩い」ところも気に入りました。ポーチが職場にあることを祈りつつ、それまでいくつかの習慣の定着のためにいじります。

ここまで書いて、ルーティンの通知なら、標準の時計アプリのアラームでも結構イケることに気付きました。出勤前や就寝前の、やらなきゃならないのに忘れがちなこと、の通知にこっそり使います。

2013/01/01

昨年の自分、ブログを振り返る

ブログを始めて1年。ブログを持ってみて「あぁ、これをブログに書いてみたい、書けたらいいなぁ」というアンテナをいつも張って世の中を見る癖はつきました。しかし、書くのは本当に難しい。それを実感した1年でした。

少し記事を読み返してみて、書き方の典型に「~かな?」「~して(頑張って)みようかな?」と、疑問や希望で結んでそれっきり、というのがあることに気が付きました。大したことを書けないのを責めるのはとうに辞めました。だから過去に自分の思ったこと、やったことの記録として、それなりには楽しめるのです。けれど、発信する、という形を一応とって書いている文章で、何を変に腰を引いているんだろうな?という妙な感じが残ります。

また「~しようかな?」な終わり方になってしまうけれど、書き方やテーマに少しの縛りを持たせて、かつ感じたことはどんどん書く、みたいなことをやりたいと模索中。せっかくだから楽しく、攻めてみたいものです。