2014/02/07

コンテンツの魅力だけじゃ難しいのか?みたいな話にしたかったが難しかった話

あの作曲家にゴーストライターがいた話。「名探偵コナン」の事件みたいなことが、現実にあるんだなぁって、まず思ったのですが。

テレビとかあんまり観ないし、気持ちのいいニュースじゃないので全体像を把握しようともしていないのですけれど、ちょっとだけ感じたことを書いてみます。

今回の件、あの人が書いたとされる曲が、クラシック界で異例の売れ方をしたのは、曲の素晴らしさもあったろうけれど、やはり聴覚を失う難病と闘いながら書いたそれ、という「背景」があったからですよね?もっと悪いことに「HIROSHIMA」をかぶせてしまった。

異例の売れ方をするのには、普段来ない層が買ってくれることが一番。本のベストセラーもだけれど、大きな文学賞の受賞、それに至るまでの作者の苦労…のような、作品の背景に惹かれる人、とてもいやらしい言い方をすると「好物」の人がやっぱり多くいて、その人たちが動くのが大事。で、その一部でも、それを入り口として例えばクラシック鑑賞なり読書なりの楽しさを知って残ってくれれば、なんだけれど、作品の魅力だけでは今はもう難しいのかな。自分の場合、ものによっては、あんまり背景を知りたくないところがあるのですが。

そんなこと言って、作品の背景を知ったら、やっぱり喜びって増すものではあります。ルノアールが晩年、手に筆を括り付けて絵を描いた話が好きなのですが、それであの絵、だからいいんですよね。「この人は、どうしても女の肌の柔らかさや、肌に落ちる光を描きたかったんだな」と、なんだか嬉しくなるじゃないですか。

背景がこうだから、曲の数々は「聴覚を失った」「被爆二世」である彼が書いていないから、もう価値がないのか…?個人的には今回のことでは、交響曲第一番に、当初の予定でなかった「HIROSHIMA」を名乗らせたことの方が嫌だし、分からない。他の曲のことを知らないで言うのもなんだけれど、もし被爆二世という、当事者の彼が「売らんかな」でしたのなら…分からない。

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